8/27(月)横浜本牧の三渓園で日本庭園の美しさを感じる
明治・大正時代の実業家で茶人・原三渓が残した庭
先日の葉山BBQの時の事…
実は、東京から三浦半島に向かって首都高湾岸線を走っている時に右手に見える地層がいつも気になっていました。地層って男のロマンを感じざる得ない魅力がありますよね。太古の歴史とか、時の積み重ねとか…「あぁ…地層が見たい!」と熱い思いを抱いて横を走り抜けていくだけなんですよね。
葉山でのBBQを早めに退席して次の予定に向かう途中、時間が合わなくなって予定がキャンセルになったので、一瞬で決意して急きょ高速を降りて地層を見にいこうと…
しかし、案内看板で「三渓園」という何とも言えない深みを感じさせる味のある名前を見て、そのまま導かれるようにハンドルを切り、歴史的建造物がたくさん移築されているという三渓園に行くことにしました。閉演時間17時。最終受付16時半、到着した時間が16時10分過ぎ。
ちょっと迷惑そうな駐車場警備のおじさんに笑顔で「間に合ってよかったぁ」と声をかけ、大人700円のチケットを購入。
時間が閉園ギリギリだからなのか、もともとそうなのか分からないけど、園内は海外の人たちばかり。欧米の人たちだけでなく、中国や韓国の人々も。
パンフレットによると、三渓園は国指定の名勝。明治から大正にかけて製糸・生糸貿易で財を成した横浜の実業家・原三渓(本名・富太郎)が東京湾に面した谷あいの地に作った日本庭園。広さ5万3000坪という広大な敷地に17棟の歴史建造物と四季折々の自然が調和した景観が見どころだという。
正門から入ってまず大きな池。池にはボートが浮かんでいてその向こうに三重塔。池の周囲には日本家屋が見える。少しオレンジ色掛かった太陽の光の中でキラキラとしている歴史的な建造物は息をのむほどきれいです。
園内は外苑と内苑に分かれており、外苑は以前から一般開放されていたとか。内苑は、原三渓が生前に自宅として使用していたために非公開だったものが氏の逝去後に一般公開されるようになったのだという。
ここに収められている歴史的な建造物たちは、原三渓が生前に集めたものを移築したもので京都や鎌倉などからやってきたのだという。四季の草花や樹木との景観美を考慮して日本庭園として現在は財団法人三渓園保勝会によって管理・整備されているのだという。
外苑・・・外苑は明治39(1906)年、一般に向けて公開されたエリア。京都・燈明寺から移された室町時代の建築・三重塔があり、ウメ・サクラ・ハナショウブ・ハスなど四季折々の花を中心に季節の移り変わりを楽しむことが出来るエリア。
(1)正門門柱(せいもんもんちゅう)
建築年:明治39(1906)年
開園時には、三渓自筆による「遊覧御随意(ゆうらんごずいい)」の表札が掲げられていたという。
(2)旧燈明寺三重塔(きゅうとうみょうじさんじゅうのとう) 重要文化財
建築年:室町時代 康正3(1457)年
京都・木津川市の燈明寺(廃寺)にあった建物。現在、関東地方にある木造の塔では最古のものだという。
(3)林洞庵(りんどうあん)
建築年:昭和45(1970)年
宗徧流林洞会から寄贈された茶室。
(4)横笛庵(よこぶえあん)
建築年:明治41(1908)年
田舎家風草庵。奈良法隆寺からの移築とも言われるが不明。
(5)旧東慶寺仏殿(きゅうとうけいじぶつでん) 重要文化財
建築年:江戸時代 寛永11(1634)年
縁切寺の名で知られる鎌倉・東慶寺にあった禅宗様の仏堂。
(6)旧燈明寺本堂(きゅうとうみょうじほんどう) 重要文化財
建築年:室町時代 康正3(1457)年
三重塔と同じ、京都・燈明寺から移築。
(7)旧矢箆原家住宅(きゅうやのはらけじゅうたく) 重要文化財
建築年:江戸時代後期
飛騨白川郷にあった建物。園内の建物で唯一内部の見学が可能。飛騨の三長者の一人と言われた矢箆原家の豪勢ぶりがうかがえる建物で現存する合掌造りとしては最大級のもの。
(8)鶴翔閣(かくしょうかく) 横浜市指定有形文化財
建築年:明治35(1902)年
三渓が住まいとして建てた延べ床面積950平方メートルの建築物。第二次世界大戦中に改築されたが、近年の復旧整備で創建当初の姿に戻された。現在は様々な利用に可能な貸し出し施設として活用されている。
内苑・・・原家が私邸として使用していたエリア。江戸時代初期に建てられた、雁行方に3棟が連なる外観の臨春閣を中心に、古建築で構成された繊細なつくりの庭が広がるエリア。
御門(ごもん) 横浜市指定有形文化財
建築年:江戸時代 宝永5(1708)年ごろ
京都東山の西方寺にあった薬医門。
白雲邸(はくうんてい) 横浜市指定有形文化財
建築年:大正9(1920)年
原三溪が隠居所として夫人とともに暮らした数寄屋風建築。倉は初期の鉄筋コンクリート造。
臨春閣(りんしゅんかく) 重要文化財
建築年:江戸時代 慶安2(1649)年
紀州徳川家初代藩主の頼宣が和歌山・紀ノ川沿いに建てた数寄屋風書院造りの別荘建築。内部には狩野派などの絵師による障壁画の複製や洗練されたデザインを各所で見ることが出来る。
旧天瑞寺寿塔覆堂(きゅうてんずいじじゅとうおおいどう) 重要文化財
建築年:桃山時代 大正19(1591)年豊富秀吉が京都・大徳寺に母の長寿祈願のため建てさせた寿塔(生前墓)を治めるための建築。
月華殿(げっかでん) 重要文化財
建築年:江戸時代 慶長8(1603)年
京都・伏見城にあった、大名来場の際の控え所として使われたと言われる建物。
金毛窟(きんもうくつ)
建築年:大正7(1918)年
三渓の構想による一畳台目(1.8畳ほど)の茶室。
天授院(てんじゅいん) 重要文化財
建築年:江戸時代 慶安4(1651)年
鎌倉・延長寺近くの心平寺跡にあった禅宗様の地蔵堂の建物。
聴秋閣(ちょうしゅうかく)重要文化財
建築年:江戸時代 元和9(1623)年
京都・二条城内にあったといわれる、徳川家光・春日局ゆかりの楼閣建築。
春草蘆(しゅんそうろ) 重要文化財
建築年:江戸時代
三畳台目(3.8畳ほど)の小間は織田信長の弟・有楽の作と言われる茶室。
蓮華院(れんげいん)
建築年:大正6(1917)年
三渓の構想による茶室。
海岸門(かいがんもん)
建築年:江戸時代
御門と同じ、京都・西方寺にあったもの。
以上が、三渓園内にあった歴史的建造物。
そのほかにも、平成元年建築の三渓記念館やその中にあるお点前スタイルのお抹茶処・望塔亭(ぼうとうてい)、三渓さんが考案したという和風と中華の合わさったジャージャー麺のような「汁なし麺」を提供する待春軒(たいしゅんけん)、池のほとりにある雁ヶ音茶屋、月影の茶屋、三渓園茶尞などの和カフェも充実しているけど、この日は閉演ギリギリの時間だったので訪問叶わず。
原三渓という人は、横浜という日本貿易の中心地に居ながら日本がその経済基盤を築いていた明治大正時代に大いに商いを伸ばし、有形資産や重要文化財など各地の歴史的建造物を集め、ここに集約。「遊覧御随意」と看板に掲げ、一般の人にも広く公開していたというのがとてもスケールの大きい事だなぁと感じる。
ただ、やみくもに金を稼ぐのではなく、趣味を持って、その趣味が高じて人の役に立つような、それが街に人を引き込む導線になるというスケール感がとっても素敵だなぁと感じる。
ぜひ、時間のある時にまたゆっくり訪れてみたい、その時は春の桜が咲く時期や秋の紅葉が映える時期が良いなぁと密かに思いながら、三渓園を後にしました。
あっ、そうそう。
この庭園を回っていて、心を打たれたのが、池や小川にかかっている橋。パンフレットには大きくうたわれていないけど、橋の存在がほかの建物を際立たせてくれたり、良いアクセントになって風景全体を落ち着かせてくれるんだなぁと感じました。